省吾さんが歩く日々。
|そこにあるスタンダード| 城下町と人力車 web版
萩の城下町を人力車が通る風景は、あまりにも自然で、例えば萩をまだ訪れていない人にも「スタンダードな風景」としてイメージされると思います。
城下町の入り口に、控え目だけれど存在感のある立場(たてば)が建っています。そこに、さらに控え目ながら存在感を隠せない車夫の中原省吾(なかはら・しょうご)さんが立っています。夏の暑い日も、しびれるような冬の日も。
とてもカッコいいので、ストイックで寡黙、と思いきや、、、! 歩んでこられた道のりはファンキーで、脳が活性化する面白さ。話していると、省吾さんの無垢な笑顔が誘引し、道程をどんどん聞きたくなるのです。『つぎはぎvo.4』冊子だけで楽しむのはもったいないので、ここに書き留め、多くの人とシェアできたら幸いです。
千葉県市川市若宮出身。寺社が多く、力士や修行僧、競馬場の馬などいろんな人(動物)が歩いているようなユニークなまちで生まれ育ったそうです。東京の高校を卒業後、子どもの頃の夢だった料理の仕事に就きますが、『つぎはぎvol.4』P9-10で書いたように、20歳前後で生き方や目標に迷い、本に触発されて全国を「歩く」ことを決意。そのために、職場と自宅の25kmを歩きで通勤するトレーニングを1年続けたそう。「最初は6時間かかってたんですけど、1年たつ頃には4時間で終わるようになったんですよ(ニコニコ)」。大抵の人はなかなか、毎日の仕事終わりに4時間歩く気にはなれないものです、、、
翌年5月に京都から歩き始め、北海道や沖縄も巡って年末に京都に到着。初めてで分からなかった歩き方も、「3日くらい先を見て歩けば良い」と人生の歩み方のようなものをつかんだそう。しかし、ゴール後に早くも焦りが生まれ、「歩くことしかできない」と己の道を極めた省吾さん。なぜか水上歩行器を製作し始め、海を歩こうと考えますが、試作器で江戸川を歩いてみて断念。宮崎県の旧南郷村や北九州市の知人のもとで様々な経験をしながら、たどり着いたのが「人力車」でした。
友人が勧めてくれた萩というまちを目指し、24歳の5月、人力車を引いて日比谷公園を出発。箱根の難関も越え、各地でメディアが取り上げるほどの有名人に。「順調過ぎてダメだな」と、1泊した宇部市から経由地予定だった博多までの約130kmを一気に引いたことも。この頃、人力車を引く1日のパターンができていて「自分にとっては出勤や仕事と一緒。日常となっていた」とか。
萩に到着後、6畳と3畳の部屋を間借りし、2人乗りの人力車作りに没頭。仏具屋や木工屋などで部品を調達し、鉄工所で組み立て、わずか2ヶ月で完成。城下町に出て、道端に立ち続けたそうです。
大正時代から続く定価がない床屋さんや、精密検査を勧める歯科医など面白い人に出会い、そういう暮らしに触れる楽しさから、最初に設定したコースは観光の定番ではない寺町コースだったとか。「ハンドルの『あそび』みたいなものが萩にはありましたよね。観光地だけど、観光地じゃない」。
その後、人力車とともに歩き続けた省吾さん。木曽街道や佐渡島を目指す道中、文化やまちづくりを各地で吸収し、たまにファストフードのドライブスルーに人力車で立ち寄る遊び心を効かせながら、改めて感じたのは萩の良さ。「一軒一軒にいろんな話があり、これだけ凝縮されているまちはないですよね」。
取材後に人力車を引いている姿を撮るため、省吾さんに好きな道を尋ねると、返ってきた答えは写真の橋本川沿い。まさか、ここも人力車で通るとは。省吾さんが人力車とともに歩む道は、思いっきり萩暮らしの中にある。